こんにちは。カストリです。
久々に書きます。
今日は思想強めなシリーズです。
素人がなんかほざいてるわwww
ぐらいに軽く適当に聞き流してください。
ヘーゲルの哲学というものがあり。そこではこんなことが説かれています。
1.歴史は弁証法の繰り返しである
2.人類は自由を獲得する為に進歩している
です。
まず弁証法とは
弁証法(べんしょうほう、希: διαλεκτική、英: dialectic)は、哲学の用語であり、現代において使用される場合、ヘーゲルによって定式化された弁証法、及びそれを継承しているマルクスの弁証法を意味することがほとんどである。それは、世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則とされる(ヘーゲルなどにおいては、弁証法は現実の内容そのものの発展のありかたである)。しかし、弁証法という用語が指すものは、哲学史においてヘーゲルの登場よりも古く、ギリシア哲学以来議論されているものであり、この用語を使う哲学者によってその内容は多岐にわたっている。したがって「弁証法=ヘーゲルの弁証法的論理学」としてすべてを理解しようとするのは誤りである。弁証法は、元来哲学の内部で問題とされ、哲学固有の考え方、或いは哲学的論理というものであったが、今日では、ほとんど常識化され、無造作に用いられるようになった[1]。
です。
簡単にいうと、ある事柄の認識と、その事柄に反する認識が現れた時つまり矛盾が生じた時に、それらを踏まえて新しい認識が生まれ、その繰り返しにより人間は進歩するということです。
ちょっと意味合いが違いますが、もっと単純にすると。
ディベートをした結果新しい良い結論が生み出されるみたいなことです。
そしてこの弁証法を通して人類は進歩し、自由を獲得することが目的であるとヘーゲルは説いています。ここでの自由というのはいろんな意味があるのでややこしいた為割愛。
13条では明確に個人は自由であると明記されています。これはヘーゲル的には人類が進歩し、自由を獲得した結果といっても過言ではないのではないでしょうか。
そしてここからは現代においての話になります。
自由は獲得しましたが人類は、さらに平等を獲得しようとしています。
憲法14条に平等権があります。
第十四条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
ここでは、本質的な平等について補償されています。ここまでは人類が獲得できました。
しかし、この世界は平等だと思っている人がそんなにいるでしょうか?実際に人種問題や、性差別、根本的に解決しているかというとそうは感じません。
さらにいうと現在の資本主義社会の貧富の格差問題などもあります。
ここで弁証法です。
平等を獲得するべきだという考え
平等を獲得するのはこの世界では困難である事実
矛盾が生じてしまいました。
新しい価値観を生み出す必要が出てきました。
そして、それはもうすでに生まれていると僕は考えました。それが
バーチャル空間のプラットフォームつまりメタバース
です。
現在なにかとニュースでも出てくるメタバース。仮想空間のプラットフォームでわかりやすくいうと映画サマーウォーズの世界です。
ここでは、現実では実現できなかった平等を実現できるのではと、無意識の中人類は足を踏み入れたのではないかと僕は考えています。現実より限りなく可能性、拡張性のある世界。ここでは性別も、人種も全く関係ありません。
平等が実現できないと感じた人類はこうして、新しい価値観を生み出したのではと僕は考えました。そのぐらい歴史的瞬間に立ち会っているのではないかとやや興奮気味にこのブログを締めさせていただいます。
『攻殻機動隊の世界観くるかもね。あとまじで素人の独り言なので、資本主義に疑問を抱いている人とかじゃないのでご安心を。あくまでそんな気がしてるってだけです』