カス鳥のブログ

考えたコト達

ポピュリズムとSNS

こんにちは。カストリです。

 

「黙ってろKs」

「あの人は裏でこんなことしていたらしいよ」

「顔真っ赤で草」

「死ね」

 

どこのコメント欄、タイムライン、投稿でもみる景色です。日常からSNSを使っている方は目にするのではないでしょうか。

匿名性があり、個人の発言に重きを置かれないインターネットにおいてこう言ったことは日常茶飯事で当たり前のものとして、気にしてもしょうがないとして、納得している自分がいます。ですが本当にそうでしょうか、しょうがないとして片付けていい問題なのでしょうか。

SNSの良い点も勿論たくさんありますし、なくてはならないものとして身近になっています。情報を調べることができたり、遠くの人とも仲良くなることができたりと上手に使う分にはメリットの方が確実に多いと思います。

しかし、前述のような発言も多く見られていて、これについて僕はかなり危険だなと感じています。

実際、誹謗中傷で命を落としたと言うニュースも何度も聞きますし、それについて問題だと言っている人も数多くいます。そしてさらに過激になるとこうなっていくと僕は考えます。

 

ある人気な人が、SNS上で扇動しある個人を批判する。

 

すでにこれは起こっています。

そして、これはポピュリズムに他ならないと僕は考えています。

ヒトラーが行ったユダヤ人の迫害、虐殺と全く一緒の行為で、そして、そうなっていくプロセスも全く同じです。

ヒトラーは民主主義の内、選挙によって選ばれました。一般の市民が選びました。

SNS上で人気な人も、見ている人が選んでいます。

もっとミクロでも言えるのが、あるコメント欄でどうせ読まれないだろうと批判的なコメントをする、すると周りの見ていた人も同調し非常にコメント欄が荒れてしまう。

これも構図は一緒です。

みんなが選ぶからその数は膨大で、力も絶大になります。それは、良い方に向ければ非常に良い結果をもたらしますが、悪い結果にも直結します。

何気なく見ているコンテンツ、人、何気なく書いているコメント、タイムライン、これらを今一度注意深く選ぶ必要があるのではないでしょうか。

 

ここからは本当に個人的な思いなのですが。

僕は人は悪だと考えています。性悪説性善説ですね。

ジョンアクトンの有名な言葉で

「権力は必ず腐敗する。されど民衆はさらに腐敗する」と言うものがあります。

これは、政治について述べているのですが、人間そのものについても言えていると思っています。

やっぱりスキャンダルとか、批判的な記事だとかは過激で思わず開いちゃったり見てしまいます。これは元来僕がゲスだからと言うのもありますが、人間の根本的なところなのかとも思います。

しかし、それに抗うことっていうのは必要で、善に向かうべきではあると考えているのです。

つまりSNS上まして日常においても、良心や優しさと言う曖昧なものを改めて大事に、そしてそれらを獲得していくよう努力するべきだと考えています。そうするとSNSもより安全で良いものになっていくのではないでしょうか。

『インチキおじさん登場!』