カス鳥のブログ

考えたコト達

罪の意識

こんにちは。カストリです。

 

最近見た映画のお話をさせてください。

ネットフリックスからのご紹介

映画「THE GUILTY ギルティ」(原題:The Guilty、2021)を見る。 - fpdの映画スクラップ貼

 

ギルティ

 

タイトル通り「罪」。

あらすじとしては。

アメリカロサンゼルス、犯罪がひっきりなしに横行している街で、911オペレーターをしているのが主人公。常にコールが鳴り響き、対応しつづけます。そんな中一つのコールを取った主人公。音声のみですが、おそらく拉致にあっている女性からのコール。はたしてオペレーションから彼女を救うことができるのか?というサスペンス映画です。

こっからは感想です。

この映画の面白いところはとにかく場所が変わらないということ。クライムサスペンス映画なのに、主人公がいる場所は常にオペレーションセンターのみ。そして、コール先の映像なども一切出てきません。視聴者も主人公と同じくコールからの情報でしか状況を把握することができないのです。

ここが面白いところで作品自体はわかりやすいのですが、頭を働かせていないと、えっ今どうなってる?って置いていかれます。ここが作品のスピード感を生んでいて短い映画ですが、あっという間に見終わり見応えがあります。

そして、考えさせられる内容でもありました。サスペンス要素だけでなく僕は、現代のネットに関わる人の考え方を問う内容でもあった気がします。見えない相手が果たして何を考えていて、実際はどうなのか僕らは見ることも確認することもできず、ただ情報を鵜呑みするしかない。そして、それが間違っている場合に取り返しのつかないところまで行っているかもしれない危うさ。

例えば。炎上している人に何かコメントをしたりするとき、本当にその状況を理解できているのか?何が問題であってどうしてこうなっているのか?本当に理解しているのか?分からずに批判的なコメントを書き込むことは果たして正しいことなのか。人間の善性を問う内容でもあるなと感じました。

ネットは顔も見えない相手とつながることができる便利なものである一方で、見えないからこそ表現、伝え方に、慎重になるべきだと。対面だと80%伝わることがネットだと30%しか伝わらない、そこを埋めるためにもっと慎重で精度の高いコミュニケーションをネットだからこそ取るべきなのではないのか、そう考えさせられました。

そして、「罪」の意識を常に持っておくべきだなと、特にネットの世界においては。自分はどうなんだ?と言う問いかけ、自分を棚に上げるのではなく棚から下ろす作業。これが健全なネット社会を作っていく基本的な考え方なのではと。

小難しいこと言ってますが、とにかく映画は面白かったです!ちょっと脳みそを刺激する意味でも是非視聴してみてください。

 

『山炎上は結局何だったの?』