こんにちは。カストリです。
先日の結婚式最高でした!!!
急遽任せられた僕の乾杯の音頭以外は最高の式で、幸せを享受させていただいた訳です。
改めてこの場で、
おめでとう!!
そして、ここからは全く関係のない話です。
「多面的な人間性を受け入れる」この言葉を最近すごく大事にしています。
例えば、ジャイアンがのび太をいじめた後に、濡れた子犬に傘を貸したとします。そうすると、なんだかジャイアンがすごくいいやつに見えますよね。逆も然りで、しずかちゃんがのび太くんを慰めた後に、スネ夫の悪口を女子の間でめっちゃしてたら、黒幕にさえ見えます。これが、人間の多面性だなと思ったのです。
ジャイアンは確かにいじめをしていました、しかし、子犬に傘を貸すということもまた事実。こうして書くと当たり前なんですが、両方とも間違っていないのです。人間は人に会うたびに様々な人格を作るらしいです。あの人の前ではこんな感じ、この人の前ではこんな感じと、構えた言い方をすると取り繕っているのです。でも、それは確かにその人物を形作るものであり、取り繕っていたとしてもそれが事実なのです。
不意にその人物の違う面を見たときに感じる、違和感や嫌悪感。これらは普段のその人物らしからぬ言動であったり、行動であったりすると思います。しかし、なぜその場面で嫌悪感なりを感じるかというと、自身のなかでその人物像を勝手に作り上げているからです。こういう人だと想像し作り上げ、そのつもりで話しているから現実と差異が生じてしまうのかなと考えました。そして、さらによく考えてみるとこれはコミュニケーションにすらなっていないのではないかという事に気づきました。自分の想像した人物と話しているだけで、あくまで自分の主観から離れていないのです。他人を自分の脳内で干渉しすぎている、そんな感じ。
ここで、何が大事なのかなというと
「受け入れる事」
かなと思いました。ただただ、その多面性を受け止める。ここに感情を混ぜ込まずにただ受け入れる。シャットダウンしてもよくないし、干渉し過ぎ批評するようになってもよくなさそう。本当に、フラットに、受け入れる。そうしてやっとその人物と会話していることになるんではないかなと最近では思うのです。
『分かりづら!』