こんにちは。カストリです。
郷愁と呼べるのか、子供の頃感じた記憶と言うのか、そんなものを久々に味わいました。
資格試験のために、市役所や保健所に出向いたのですが、そこで思いかけず懐かしさを感じました。
書類を提出するのですが、不備がないかチェックされます。この時の所在なさげに待つこの時間、非常になつかしく苦手でした。
まず、職員と呼ばれる人たちが集まっているところというのは、なぜああも静かなのでしょうか。色がないというか、無というか、そこに人の気配があるのにどこか皆他人事のような侘しさのようなものを感じるのです。
昔、学校で職員室に出向いた時などに確かに感じたものと一緒でした。忙しなく仕事をこなしているのですが、なんというか関わってくれるなよ、みたいな無言の圧力を肌が受け取り、いつも恐縮し声が小さくなりました。
「失礼します、〇〇先生いらっしゃいますか?」
静寂。コピー機の音。声が小さいのか届かなかったよう。いや、手前の先生なんかは聞こえているはずだろう、面倒ごとは御免ってか?それとも声が小さい!もとい!って事か?なんだかいやらしいではないか、無関心という悪意を感じる。
今になったらわかるのですが、忙しいのでしょう。受け取り方が歪んでいるのは重々承知。しかし、自分の中ではこの空間は割とトラウマ、急に大人を突きつけられたような、鋭い槍で一突きされたような、冷や汗がでる苦い思い出なのです。
いつもはこんな事忘れているのですが、同じシュチュエーションが思いがけず飛び込んできたので、面食らった訳です。
こう言った、普段特段気にしてはいないが、そういえば苦手だったなみたいなことって意外とあるのではないでしょうか。そういえば、これいやだったなぁみたいなこと。このような事を一つ一つ克服していけば良いものなのか、自分の中で折り合いをつければいいものなのか、忘れてしまった方がいいものなのか、分かりかねますが、こうしてひけらかす事で僕的には安心するのです。記憶のショック療法とでも言いましょうか。
こうして書き出してみると、つくづく生きることが下手だなと情けなくあります。こんな事気にしなければ済む話なのですが、なんとか意味をつけないと納得できない性格のようで、一言で言うと面倒臭い性格。付き合っていくしかないですが、手のかかるものです。
こういう場面では、無頼なふりして、他人事のような人たちに習って、どうでも良いように、大きな声で
「すいません!!!これ、お願いします!!!」
これでいいんでしょう。
もう少し粗野に生きても文句は言われないかもしれません。
『苦手〜〜〜』