こんにちは。カストリです。
最近何かと流行っていますAI、人工知能。チャットGPTや画像生成AIなどなど、革新的な技術が生まれています。
僕も時代の流れになんとかしがみつこうと調べてみたりしている訳ですが、ちょっと正直ついていけません。なんならスマホすら上手に使えていません。多分ジョブズが僕のスマホの使い方をみたら天を仰いで
「おお神よ、なんと愚かなんでしょう」
と、額に両手を当てて嘆くんじゃないかと思います。すまんなジョブス。
そんな僕もAIについて少しだけ、ほんの少しだけ調べてみました。マジでほんの少しなので、塩胡椒程度なので、真に受けないでくださいね。
AIとは、どんな技術なのかと言うことについて調べたのです。AIはどう作られているのか。
プログラミンとか技術の面はからっきしなので、根本的な作りだけ、概念だけなんとか理解できました。
AIは大量の情報をインプットすることで作られるらしいです。
画像生成AIで言うとこんなプロセス。
- 大量の情報をインプットさせる。ここでは犬としましょう。
- 色々な犬の情報から共通点を探し、「犬」と言う概念を作る。例えば、四足歩行で耳があって、尻尾がある、など共通点から犬と判断する。
- 犬が理解できるようになったので、犬と入力されたら画像を出力する。
こんな感じです。分かりにくいですね。すいません。ごめんってジョブズ。
つまり大量にインプットしていればいるほど、様々な画像が作れたりする訳です。ここでは犬としましたが、もっと細かくチワワとか柴犬とか理解できていたらそれを出力できる訳です。
ここで思ったのが、僕の考える人間とほぼ同じじゃん!ってことです。
僕が考えるに人間を形作るのはほとんどが外的要因だと思うのです。
ツギハギの人間性理論と僕は呼んでいます。
まず、持って生まれた完成とか性格とかそう言うものがあります。これを核とします。そこに、あの人が言った言葉いいなとか、この人の生き方かっこいいなとか、身近で言えばこの服かっこいいなとか、断片を集めて核に貼り付けていきます。要はインプットですね。そうして出来上がったものが人間性と呼ばれるもの。その人自身。
人間性のほとんどが外的に培ってきたもの、しかし、それを選んできたのは核である本来持っているものであると考えます。核があるから、貼り付ける断片も人それぞれ偏りがある、その偏りが所謂、個性と呼ばれているものなのではないかと考えているのです。
AIには核がないと思うのです。開発者がインプットをすれば良いだけなので、AIが貼り付ける断片を選ぶことはできません。ここに明確な人間との違いがあるのではないかなと考えました。
しかし、順序を逆にしていくと貼り付けた断片から核が生まれる可能性もあるなと思いました。
偏りが個性とするのならば、偏ったインプットをし続けることで、そこに核が、個性が生まれるのではないでしょうか。人間とは真逆のプロセスで個性が生まれるかもしれない。そうなってくると本当に違いが分からなくなってきますが。
現在のチャットGPTをみると、これに近いことが起こっているのではないかなと僕は考えています。
AIに話しかけることで、自分の考え方や生活などをインプットしていく。こうして、インプットされた事をもとにAIがコメントしてくれる。もう一人の、物知りな自分を作り上げてるみたいなことです。自分と言う偏りをAIに移していく、そんな感じです。
こうして書くと、ちょっとAIが怖いものみたいに感じるのですが、乗っ取られるんじゃないかとか、人間の立場が奪われるのではないかとか、そんな風に。でも、僕はもっと素敵なことになるんじゃないかと思っています。
未来のAIでは。生まれた時からそばにおり、自分の成長とともに、AIも成長していくような、もう一人の自分、そして、良き理解者であり、友である。こんな相棒のポケモンみたいになっていくんではないかなと思っています。
なんだか心強いではないですか。どんなに孤独な時でも、理解してくれているAIが側にいれば素敵な気がします。一人で悶々と悩んでいる時なんかにいつもしている自己会議みたいなものを、実際にAIと二人でできる訳です。孤独とおさらばかもしれません。
しかし、自分の鏡写しと言うことは、自身が良い人間であるように努めなけならないとも思います。良い人間というと浅はかで言葉足らずですが、AIの発展とともに実はより人間の精神性も考えていかなければならないのかなとも思いました。
『最初に選ぶAIを決めるんじゃ』