カス鳥のブログ

日記とオモシロ記事を書いています。

ホモサピエンス全史を読んでおもたこと

こんにちは。カストリです。

 

めちゃくちゃ長かった、とんでもなく長い。そしてむずい。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 | ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之 | 歴史学 |  Kindleストア | Amazon

 

これ。まぁ少ない頭で色々と考えましたが、面白かったです。

僕なりに考えたことをここらで忘れないようアウトプットしていきたいと思います。

 

ていっても僕が考えたのは最後の方の作者の問いかけですね。そこ以外ははえーってなってただけでした。

問いかけとは

 

幸福ですか?

 

これですね。

我々ホモサピエンスは認知革命と言うのが起き、「虚構」つまり嘘のイメージを持つことができるよになったらしいです。それが宗教や貨幣制度、資本主義などのイデオロギーであり、これらを持ってすることで一つの目標に連携でき、栄へ繁栄することができた。昔では考えられないような生活であり、マンモスを狩ってその日の命すら危ういってことは今日ではなくなりました。こう考えると幸福であるとは言えますが、本当に幸福であるのでしょうか。ここが僕の気になったポイントですね。

「今あなたは幸福ですか?」ときかれてはい幸福ですと答える人がどれだけいるでしょうか?僕は少ないと考えています。実際僕も幸福だなぁとはあまり感じていませんし。

でも、はるか昔から考え、マクロの視線でみると間違いなく幸福であるとは言えます。

ここで思ったのが

・過去のマンモスを狩ることができてしばらく飢えることがない!の幸福と

・現代のマックうんめぇなぁの幸福

何が違うのかです。

 

まず過去は飢えることや、戦争といった命を危険に晒すことが多かった為、幸福の数が少ないと言えます。そしてその分良いことが起きた幸福は大きい。

現代は、ここ日本では命が危険になるってことは昔に比べたらないでしょう、幸福の数は多いでしょう。しかし、その分マックうめぇなぁのミニ幸福が多くなる。

 

過去

幸福 少 幸福 大

現代

幸福 多 幸福 小

 

こんな感じになるのではないでしょうか。

こうしてみると、過去と現代でも幸福の絶対数は同じであると考えたのです。

つまり、一生の幸福を数値化して合算したらどちらも変わらず100になるってことです。

過去も現代も幸福という観点では本質的には変わっていないのかもしれません。

しかし、また面白いのがこの「幸福」も「虚構」であるのではないかって事です。

時代が作りだした「幸福」

飢えずに生きることができるって事は、飢える時代だからこそ、そこに幸福が生まれる。

美味しいものを享受できる時代だからこそ、そこに幸福が生まれている。

これらは時代に作られたフィクションの幸福であるとも考えられるのかなと。

 

じゃぁどうすりゃいいのよ。美味いもん食って幸せそれでいいじゃん!ってのもめっちゃわかります。どうすればいいのか、どうすれば幸福な人生を歩めるのか。

そうするにはまず、自身の主体で幸福を決める必要があるのかもしれません。

これしてい時自分は幸せを感じているな、あの人といる時に幸せを感じているな、と自身が何について幸福を感じているのかそしてそれが時代が強要しているフィクションなのか、それとも本当に考えた末の自分自身の決定なのか、幸福とはなにかと考え続け真実を追い求めることこそが幸福への近道なのかも知れません。

『読み終わるのに1ヶ月以上はかかた』