カス鳥のブログ

考えたコト達

無意識の閉ざされた場所について

こんにちは。カストリです。

 

 

close

 

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「close」が案外多いことに気づいたこの頃。

街を散策していると、意外と「close」が多い。お店もコロナ後になり、時間を短縮した営業だったりして早くに閉めたりなどもある。それ以外にも、行き止まりとしての「close」人の家の敷地に入れない「無意識のclose」お店のアルソックの「close」、などなど意外とこれ以上進めないってことは多い様な気があする。

もちろん、お店や家に勝手に入ったりするのは迷惑になるのでダメなのだが、行けないことはないってのが面白い。スッタフオンリーの扉もその後の迷惑や、ゴタゴタを飲み込めば行けてしまうのだ。これってすごいことの様な気がする。

そしてそれと同時に、できるのにしないという、人間の秩序を守る姿勢や優しさもすごい。あっぱれ人間!すごいぞ人間!スッタフオンリーの扉を見て「あ、いっちゃいけないんだ」と思うだけで結構それはすごいことなのだと僕は思う。

現実だとこの「close」は明確で実際にあるものだが、頭の中の「close」はどうだろうか。

例えば、勉強でこれ以上分からないと行き詰まることもあるかもしれない、行き止まりな気がしてしまうことがあるかもしれない、でも、それは明確な「close」行き止まりではなかったりする。自分の頭の中で無意識的に現れた「close」に戸惑っているだけなのかもしれない。

しかし、その「close」は自分で作り出したもので、現実ほどリアルに止めているものではないのではないだろうか。誰も頭の中は覗くことはできないのだから、その「close」は跨いでも実は問題ない。倫理観や、今までの経験などから生まれるものを無視して、軽々と跨いでも誰もそのことに気がつくことはない。こう考えるとちょっと怖いけど、どこまでもどこまでも、歩いていける自由すら感じる。

もっというと、この頭の中の「close」の程度がその人を形作るものなのかもしれないとすら思えてきた。

例えば、友達に結構踏み込んだとこまで話ができる人は、積極的な人として映るかもしれない。逆に友達であろうとある程度の距離感を保つ人は、思慮深い人と映るかもしれない。

その人の頭の中の「close」を意識してみると、その人のらしさの様なものが見えてくるかもしれない。

行き止まりが人を形作る可能性もあり、行き止まりを跨いで自由に広がっていくこともできる。これって結構面白い。

 

 

『何いってんだこいつ』

 

 

 

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