カス鳥のブログ

日記とオモシロ記事を書いています。

[無理由]自分自身について

 

先日【気持ち】をして、自分自身について気づいたことがある。言うこと、言うことが全て理想論であり、なかなか現実にすることが難しい、正しさや人間としてあるべき姿を話していることに。例えば、女性専用車両などの問題について、過激な意見や、注目される様に面白おかしく切り抜かれた事実に注目するのではなく、その背景にある、確かな情報や、学ぶことによって理解ができるということ、これらは概ね正しいと思う。実際にそうなればいいなと本心でそう思っている。しかし、なぜ僕はここまで正しさや、人間としての倫理に執着、注目しているのだろうかと疑問に思った。以前顔出しをしていることについて言及したことがある。その理由は、今のネット社会は拡張現実、つまり自分を含む全体に、自分を取り囲むようにネットの世界が広がっているから、自分自身が良い人間にならない限り良い環境は作ることができないと考えたからだ。この環境の中で嘘はすぐに見破られる。だから僕はネットという環境に自分を晒して、それこそ正しさを証明しようとしているのかもしれない。または、常に正しくあるように自分自身を追い込む、戒めるという背景があるのかもしれないと思った。この正しくあろうとする姿勢に僕は少し自分で怖くなった。ほとんど強迫的な観念に近い、病的と言っていい気がするぐらいに固執している気がする。こうなると、もし、自分が何か罪を犯した時、僕は自分を許すことができるだろうかと、不安になった。きっとできないだろう。正しい行いができなかった自分をきっと僕は許すことができない。僕の恐れの正体が少し見えたような気がする、自分に失望することにきっとなにより恐怖しているのだ。だから正しくないと思う他人も許すことができない。僕の中で常日頃から怒りの感情というものが強くあることに気づいている。この怒りの正体は他人を許すことができないものだ。何故できないのか、自分を許すことができないからだ。何故このように考えるようになったのか、過去に何かあったのか、具体的な事象というのは分からない、しかし、確かめる必要がある気がするとここ最近思う。何か原因があるはずだと思う。そこに気づいた時に解決するかは分からないが、意味のあることな気はしている。最近読んだ本で同じようなことが書いてあった。精神科医森川すいめい氏の「感じるオープンダイアローグ」という本だ。この方も過去のことから自分を許せないでいた。しかし、過去と向き合い、対話し、過去の自分を許すことはできないが、許せないままに許したと書かれていた。i for give me 私は私を許します、と小さな声で言ったらしい。祈りのような言葉だと思った。本当にか細い蜘蛛の糸のような言葉、これだけは忘れたくないと強く思う。

 

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【気持ち】という企画をたまにやっています。

自分の気持ちに気づく為に、みんなで話してみようという企画です。

話すことによって自分でも気づかなかった自分の気持ちに気づく、そんな面白い発見があったりなかったり。

とにかくいろんな人と話してみたい、いろんな意見、感性に触れてみたいって方は是非。 自分の中でうまく消化できていないエピソードや、あれなんだっただろうみたいなエピソードがあれば楽しいかも!なくても全然大丈夫ですよ!

是非お気軽にご参加、コメント、よろしくお願いします!!!

 

・週1または隔週で開催しています。

・日にちや時間は、ブログ、ツイッター、インスタ、でお知らせするので是非ご登録お願いします。

・X(Twitter)のスペース機能を使って開催しています。

 

※注意点 ・誹謗中傷は厳禁です

・出会い目的や、勧誘、お金に絡むようなことなども禁止です

・否定的な言葉や、過激な言い方はやめましょう。(あくまでただ話すだけです。話して見つめ直す場として楽しんでいたでいけたらと考えています)

・無断での録音や撮影は禁止

 

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