こんにちは。カストリです。
先日大分旅行で出会いました、磯崎新さん。大分のアートプラザという建物に寄った際に建築が素晴らしく、また磯崎新さんの思考にも感銘を受けたのでちょっと忘れないうちに書いておこうかなと思います。
まず日本社会は
「ゲーム社会」であるとおしゃっていました。
資本主義と似たような意味なのですが、ここであえて違う言い方をしているのは、日本は模倣を繰り返していると言うことです。ゲームとは一定のルールの中で競技し競い合うもの、そうしていくうちに勝つためにはある程度基準が決まってきます。より良いものとなると上限があるのと同じでそこまでいくと、もう模倣するしかない。そうなると同じような勝ち方、ものが飽和してしまうのです。ここで磯崎新さんは今の日本のビル群はその結果であると、言い切っています。かっこいい。
確かにと思いました。資本主義に近いがまた違います。模倣だけしていても飽和するだけでそのあとはない。ですが新しいものが生み出せればまた発展していく。この新しいものを作り上げる、クリエイションすることが日本においての苦手な分野だったのかもしれません。目先の利益に気を取られて、新しいものを生み出すと言う先が見えないものに投資ができなかった結果、行き詰まってしまうと言うことなんですね。
でも、確かに難しいですよね、僕も0から何か生み出せと言われても困りますし、過去のブログだったり出来事だったりも、何かのパロディーだったりして自分が新しい革命を起こせるかと言うとまず無理です。
ここからは、僕の持論なのですがクリエイションにおいて大切なことは根底に
「こんなのがあったら、みんな喜ぶんじゃないか」があることです。
世の中を便利によりよく、そしてみんなが喜んでもらえる、ここがクリエイションの核として必要だと考えています。
スティーブ・ジョブズもキーボードがないパソコンがあったらみんな喜んで使うんじゃないかと言うところから始まっていますし。日常に溢れているものが全部そうです、冷蔵庫も電子レンジもペンも紙も。誰かが願って作り出したものな訳です。そしてさらに考えてみると、それは優しさ以外の何者でもないでしょう。優しさが新しいものを生み出している。
そう考えると、新しいものが生み出されていない現状は人に対する優しさが少し疎かになっているのかもしれません。
『考えさせられた』