こんにちは。カストリです。
最近こんな話を小耳に挟みました。
ある洋服屋さんの店長の話です。アルバイトの子がどうにも几帳面で困っている。
土日などの繁忙期には売り場の洋服が、試着などでぐちゃぐちゃになりこれを綺麗に畳む仕事がある。これをアルバイトの子に頼んだのだが一向に終わらない。どうしたものかと見てみるとまだ3分の1も終わっていないらしい。そこで話を聞いてみると、綺麗に畳むのがルールなんで!と一言。几帳面な性格が災いして仕事が捗らず、本人も悪気がある訳ではないのでどうにも困っている。
ここで注目したいのが、この子が自分にルールを課しているということ。
ここでは綺麗に畳むというルールです。このルールをさらになぜ?と深掘りしみましょう。
なぜ?
綺麗に見えるから。
なぜ?
綺麗に畳まないと気が済まないから
なぜ?
綺麗にしないと怒られたことがあるから
こんな分岐になるかなと思います。
1つ目は僕はいいことだと考えます。綺麗に見せたいと考えていることになるので、この場合だとお客様の目線になって行動できていることになります。
2つ目はいただけません。これは完全に自分本位の考え方で、それによって他の仕事が山積するという事態に。
3つ目こちらもいただけません。これは自分本位を超えて、相手のせいにしようとしています。いわゆる責任転嫁です。
そしてここまで書いといてなんなのですが、もし、この『綺麗に畳む』と言うルールがこの子になかったらどうでしょうか。
今忙しいから軽く畳んでしまおうとか、優先順位きめて始めようとか、なんでも考えることができたはずです。つまりルールが選択肢を狭めていると僕は考えているのです。
ルールがあることによって枠組みができて、その中でどうするかという話になる。これもまた必要なことだとは承知ですが、これだけではいい判断はできない。ルールを作らない余白これもまた必要なことだと。
そしてまた面白いのが、お坊さんです。
お坊さんの目的は悟りを開くこと、俗に無我の境地と呼ばれる状態になることです。しかし、ここに至るには厳しい修行、つまりは自分自身に厳しいルールを課す訳です。ルールをへて、無我の境地すなわち枠組みのないルールのない世界へといく。これおもしろくないですか?
このアルバイトの子もさらに綺麗に畳むことに集中すれば、いずれ悟りを開くことも可能かも知れません。
「この話をしたら、結局バイトの子はお坊さんってこと?って言われました。説明下手でごめんねごめんねぇ〜』